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「〜♪」
アパートへの帰り道、隣から絶えず聞こえてくるのは微妙に音程の外れた鼻歌だ。
「ケイスケ。いい加減やめろ、それ」
真夏の炎天下、まるでスキップするみたいに軽い足取りで隣を歩くケイスケに呆れて注意をする。
けれど、やっぱり……ケイスケはケイスケだ。
何がそんなに楽しいのか、その足取りが乱れる事は無い。
「だってこれでアキラと正式に夫婦になれたんだよ。そりゃもう落ち着いてなんかいられる訳ないよ」
「………」

今日の朝早く、約束通り俺はケイスケと一緒に役所へ行った。
どうせ受理されないだろうとたかをくくっていたが、まさか日興連では同性婚が認められているなんて……完全な誤算だった。
「嫌だなアキラ、いくらおれだって知らなかったらこんな事言わないよ」
ケイスケの得意顔がまだ頭から消えない……クソッ。
しかも、俺達が住んでいるアパートから役所までバスで一時間の距離にある。
朝一番に役所に行くと言ったケイスケの言葉は本気だったらしく、いつもより二時間も前に起こしてきた。
……正直かなり眠い。
「今日も仕事休みで良かった。ついでに朝飯食べてく?」
「帰ってからで良い」
朝が早過ぎたせいで当然食欲なんか湧くはずもない。
胃もたれを起こした挙句、朝飯も食いそびれた。
ケイスケはしっかり山盛り二杯平らげていたけれど…俺より早く起きたくせに、一体どんな胃してるんだ。
そして今、強い日差しを浴びながら汗だくでアパートまでの道のりを歩いている。
……最悪だ、早く帰って休みたい。
「あ、そう言えば。アキラ役所で何貰ってたんだ?」
「良いだろ、別に。そっちこそどうだった」
「婚姻届の事?」
いくら同性婚が認められているとはいえ、流石に二人一緒に受付に行くのは勘弁だ。
だから俺は外で待っている事にして、一緒に行こうと駄々を捏ねるケイスケを無理矢理一人で行かせた。
元々ケイスケの我儘だし、周囲の眼に晒されるなんて冗談じゃない。
「変な眼で見られたり…」
「それなら大丈夫だったよ。性別書く欄無いから」
「………」
……一人で行かせて本当に良かった。




◇◇◇




「ただいま〜」
ガチャリとドアを開けるのもそこそこに、明るい声が湿気のむっと籠る部屋の中に響き渡る。
「誰もいないだろ…」
朝からの疲れが溜息に変わり、それから眼の前に陣取ってるケイスケの身体を押し退けて乱暴に靴を脱ぎ、さっさと玄関を上がる。
「うわっ…と…、ちょっとアキラ、危ないって」
「悪かったな」
「何だよ、もう」
よろけながら靴を脱ごうとするケイスケの声を背中に聞くけれど、敢えて無視して台所に続く居間兼寝室へ直行した。
ジーンズのポケットから財布を抜き取ってちゃぶ台の上に放り投げ、閉め切っていた窓を全開に開けて淀んだ空気を換気する。
生温いけれど新鮮な空気を一呼吸吸い込めば、疲れが少しだけ和らぐ感じがした。
「はぁ〜、腹減った〜」
台所から呑気な声が聞こえる。
部屋の時計を確認すると、すでに昼近くなっていた。
朝から水しか入れていない腹は空腹を訴えている。
けれど、ここまでバスと歩きで散々疲れた……とにかく今はシャワーを浴びて身体を休めたい。
汗だくになったTシャツとジーンズを脱ぎ捨ててボクサーパンツ一枚になり、代わりに箪笥から新しいシャツと下着を取り出して風呂場に向かう。
台所ではケイスケがペットボトルの水を飲みながら、冷蔵庫を開いて中身を確認していた。
脱衣所のドアに手を掛けた時、ケイスケが後ろから声を掛けてきた。
足を止め、首だけで振り返る。
「アキラ、昼何にする?」
「何でもいい。今から風呂入るから、お前は先に食ってろよ」
「風呂?」
振り向いたケイスケがこっちを見て硬直した。
「ア、アキラ、ちょっと」
「どうした」
「何で…そんな恰好してるんだ」
「何でって…」
風呂に入る為に、服を脱ぐ。
自分の中ではごく当たり前に普通の事だ。
それなのに、ケイスケの表情はとても驚いたように眼を見開いて固まっている。
「…風呂、入るから」
首を傾げながら、ドアから手を離して身体ごと振り返った。
ケイスケの視線が俺の身体を上から下までゆっくりと見回していく。
不意に、ケイスケの声のトーンが変わった。
「外から見えたら…どうすんだよ」
「え?」
見開かれていた瞳がすっと縮まる。
まるで怒っているみたいに。
「ケイスケ…?」
見慣れないその仕草に自然と眉間に皺が寄る。
「脱衣所、あるだろ」
「…別に、どこで脱いだって変わらないだろ。すぐ風呂入るんだし」
「…変わらない?」
冷蔵庫の前でしゃがんでいたケイスケが立ち上がった。
強い眼差しが正面から突き刺さる。
「……、…何だよ」
「見えたら困るって、言ってる」
いつもの遠慮がちな態度とは全く違う、はっきりとした口調で真正面から言い切られて、思わず一歩後ろへ下がった。
それでも一方的に言われるのは癪に障る。
眼に力を入れて見返した。
「何そんなに怒ってるんだ。別に俺は構わないって…」
「全然良くないだろ!」
「!」
途端、バンッと冷蔵庫の扉が勢い良く閉められて、その手に肩をがしっと掴まれた。
痕が付きそうなくらい指に力を入れながら、鬼のような物凄い形相で睨んでくる。
その迫力と鋭い痛みに顔が歪んでしまう。
「っ、離せ」
「嫌だ。離さない」
「おいっ」
そのまま両腕でがっちり抱き抱えるようにされながら、あっと言う間に狭い脱衣所に押し込まれた。
少しでも抵抗しようと肩を叩いたり蹴ってみたりしたけれど……頑丈さが増した身体に全く歯が立たない。
洗面台に背中を付けられ、更にケイスケとの間に挟まれたまま密着されて身動きが取れなくなる。
窓が無いそこは湿気が籠っていて蒸し暑く、噴き出た汗でぐんぐんと不快指数が増していく。
「…くそっ」
少しでも離そうと思い切り仰け反ってみる。
けれど逆に、出っ張った洗面台の縁が皮膚にじりじりと押し付けられて、ただ痛くなるだけだ。
「っ、離せよ」
拘束してくる腕に爪を立てて抗議すると、ようやく身体が緩められた。
その隙に両手でケイスケの身体を力いっぱい押しやって距離を取る。
よろめくケイスケとの間に出来た隙間に空気が通り抜けて、滲んだ汗がすっと冷えた。
「痛っ…」
「お前…いい加減にしろよ。何なんだ、さっきから」
息が上がるのを抑えながら何とか身構える。
けれど、すぐさま態勢を立て直したケイスケが距離を詰めてきた。
その腕からはうっすらと血が滲んでいる。
「アキラこそどういうつもりだよ。そんな恰好でうろうろして…窓開けてんだから丸見えだろ。…分かってるのか」
低い言葉と長い腕が伸びてくる。
それを思い切り弾いて阻止すると、不意にその表情が傷ついたように固まった。
態勢を変えやすいように洗面台の縁に片手を付けて、ギッときつく睨み付ける。
「…近寄るな」
「アキラ…」
「どこで着替えようが俺の勝手だ」
「っ、アキラが良くても!」
「!」
突然、素早い動きで腕を取られ、抗う余裕無くそのまま真正面からガバッと抱き締められた。
背中が撓るくらい強く抱かれて、余りの拘束に息が詰まる。
「…っ」
咄嗟に肘を曲げてケイスケの腕を掴んだ。
食い込んだ指先にぬるついた感触が触れてはっとする。
───さっきの傷が、更に抉れて広がっていた。
「あ…」
すっと、指先から力が抜ける。
それでも、その力強さが弱まる事はない。
その代わりに───。
「…ケイ、スケ…?」
「アキラが良くても………おれが、嫌なんだ」
耳のすぐ近くで、絞り出すような声がした。
首筋に当たった唇が強く肌に押し付けられて、その熱さにビクリと身体が跳ね上がった。
「っ…あ、何、やって…」
───痕を付けられた。
服では隠れない場所に、はっきりと。
明日は仕事だってのに、なんて事をしてくれるんだ…!
「馬鹿、やめろ…っ」
首を捩って抵抗する。
動かせる腕も使って何とかしたいけれど、さっきのようにケイスケを傷つけてしまうかもしれない恐怖があって思い切る事が出来ない。
それを良いように、ケイスケの唇はまた易々と縋りついてくる。
「それに…、アキラはもう…おれの、だろ」
今朝の事を言っているのか。
「そ、んなの…」
お前が勝手に───そう抗議しようとするけれど、付けられた紅を汗と一緒にぺろりと舐められてむず痒さに肩が竦む。
それからまた、二つ目を付けられた。
「ケイスケ…っ」
「お願いだから…おれ以外、見せないでよ」
懇願するような声が肌を擽る。
それと同時に、抱かれる力が少しだけ緩められた。
「………ごめん」
「………」
首筋に触れたままの唇が、微かに震えている。
そのまま、背中にあった大きな掌がゆっくりと腰の後ろへ回り、躊躇うようにそこを包んだ。
微かな痛みを持つそこは、さっき洗面台に強く擦りつけた場所だ。
もう片方の掌は後頭部へ回り、その指先はおずおずと遠慮がちに髪を撫でていく。
「ごめん…アキラ…」
大きな背を丸めて許しを請うように、身体全体が柔らかく包み込まれた。
「……」
もう拘束する腕に力は入っていないのに。
どうしてか───動けない。
「………」
「……、……」
それから少しの間、そのまま互いの呼吸音だけを聞いていた。

………そのうちに。
(……何だかな)
このまま言い争うのも……馬鹿らしく思えてきた。

「………」
ふっと、身体から力が抜ける。
「……別に、見せてるつもりなんて…ない。お前の気にし過ぎだ」
「……」
「次から…気を付ける」
片肘を動かしてケイスケの腕に触れる。
付けてしまった傷口が酷く痛ましい。
痛まないように、その周りを指先ですり…と撫でた。
ピクリとその肩が動く。
それからようやく、ケイスケが顔を上げた。
「…アキラ…」
そのまま、真正面から見つめられる。
「……、…」
大きな茶色の瞳いっぱいに伝えられている───嬉しい、と。
「ん…っ」
身体を包む柔らかさはそのままに、唇を吸われて息を奪われた。
最初から深いそれは、角度を幾つも変えて互いの隙間を埋めていく。


───結局、何だかんだで俺はケイスケに甘いらしい。
今朝の事も、今も……ケイスケの思う通りになっている自分自身に腹が立つ。
だけど、そういった自分ですら本気で嫌だと思わないのは……これから先の人生、もう覚悟を決めろという事か。


「んっ、ん…」
「アキラ…」
キスの合間、ようやく腕が解かれ、代わりに熱い掌で剥きだしの素肌を弄られる。
汗ばんだ皮膚に吸い付いた指先が背中から脇腹、臍を通って肋骨の窪みをなぞっていく。
「…っ」
そのまま乳首に触れられて、軽く擦られた。
ジン…と腰が痺れる。
突っぱねたままの足から力が抜けて、思わずケイスケの肩にしがみついた。
「…や、め…」
「ごめん、でも…」
腰を支えられたまま、名残を惜しむように唇が離される。
互いの息が荒い。
その瞳も浮かされた熱で濡れた膜を作っている。
「……」
「……」

───何やってるんだ、俺は。
こんな時間からこんな場所でこんな恰好で、汗だくになってこんな事をしている自分が無性に恥ずかしくなってきた。

「…っ」
ケイスケの肩から腕を外す。
濡れた口元を手の甲で拭い、逃げるように目線を逸らした。
「…飯、食べるんじゃなかったのか」
取り敢えず、この場を誤魔化したくて適当に言葉を出した。
それなのに。
「そのつもりだったけど…、やっぱり後にする。……それより、今は」

───アキラを、食べたい。

「ばっ…」
恥ずかしい台詞を真正面から臆面もなく言われて、顔から火が吹き出しそうになる。
どうすれば真顔でそんな言葉が浮かんでくるのか、一度ケイスケの頭の中を覗いてみたい。
「何言ってるんだ。こんな昼間っから…」
「ダメ?」
「当たり前だ」
これ以上恥ずかしい会話を続けていたくない。
本来の目的である風呂に入って、早く休まなければ。
そう思って、ケイスケの腕を解こうとして───。
「…アキラ」
逆に、その掌に指先が捕まった。
そのまま、ケイスケの方へ引き寄せられる。
指先が、ケイスケの熱に触れた。
「な…っ!」
「もうおれ…こんなだし…」
服の上からでも伝わる隠しきれないそれを指先に押し付けられて絶句する。
慌てて離そうとして、また。
「やっ…!」
「アキラだって…ほら」
「っ」
下着の上から自分の股間にケイスケの指先が触れてきて、思わず息を詰めてしまう。
ケイスケと同じくらい……熱くなっている、そこ。
「あ…ケイスケ」
熱の籠った視線と汗ばんだ掌が剥きだしの肌と思考をじりじりと焼いていく。
「アキラ、風呂入るんだろ。おれも汗掻いたし……一緒に入っても、良い?」
「ん、ぅ…」
掌全体でぐっと強く握ったまま擦り付けられ、否応なく身体が昂ぶっていく。
眼の前のケイスケが、泣きそうな顔で見つめている。

───ここまで来てしまったら……もう仕方がない。

「っ…くそ…」
はあはあと弾む息で睨み付ける。
「…後で覚えてろよ…」
「うん…ごめん…」
了承の意味を込めて、力の入らなくなった腕で広い背中を抱いてやる。
応えるように、力強い腕に抱き返されて吐息が漏れた。
「おれの…アキラ」
小さな小さな声が、唇に触れる。
もう何度目か分からない密着は、互いの汗と体温で溶けるようにその境を無くしていった。




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