LOVES





ケイスケと日興連で暮らし始めてから三年目の夏が来た。
今日は休日で、朝から天気も良く晴れていて気持ちがいい。
こんな日は、忙しさで溜め込んでいた洗濯物を片付けるのにうってつけだ。
いつもより少し遅めの朝食の後、洗濯機で洗い終えたばかりの洗濯物をベランダの物干し竿へ掛けていく。
洗濯籠の中、水気を吸って絡まり合った大量の布を一枚一枚丁寧に解していくけれど………これが結構な手間だ。
「…っ」
今回一番の難所が解こうとする指を拒む。
……どうやらツナギの袖同士が捩れ合っているらしい。
丈夫さを備えたそれは、縫製に使われている生地も厚くて硬い。
しかも水分をたっぷりと含み、機械の強力な遠心力で雑巾のように絞られれば、その強度は倍増しで。
……元々こういった細かい作業は苦手なのに。
「…、……」
時間が経つにつれ、強くなっていく日差しにじっとりと汗が滲んできた。
額から伝う雫が、せっかくの洗濯物に落ちてしまわないように気も遣わなければならなくなる。
「……、くそ」
軽い苛立ちに思わず悪態を吐きながら、それでも根気強く指を動かし続けていた。




───そんな俺に、奥で部屋の片付けをしていたケイスケが、後ろの窓からひょっこりと顏を出してきて。


「アキラ、ちょっとこっち」


にっこりと笑いながら手招きしてきた。

Let's marry



「……?」
洗濯物と格闘していた手をいったん止め立ち上がる。
作業が中途半端になってしまったけれど、部屋の奥から早く早くと急かされては仕方ない。
そのままにしてベランダへ背を向けた。
「どうした?」
額から流れる汗の筋を手の甲で拭いながら中へ入ると、ケイスケがちゃぶ台を挟み何故か正座で待っていた。
「ここ、座ってよ」
「…?」
促され、正面に向かい合うように腰を降ろす。
「お疲れ様。喉乾いただろ?」
「ああ…まあ」
いつになく用意のいいケイスケから氷と炭酸水の入った冷たいグラスを受け取り、それを一口乾いた喉へ流し込んだ。
流れ出た水分を補充してくれるそれにほっと一息吐く。
傾けたグラスを口から離し、ちゃぶ台の上に置きかけた………その時。
「……?」
目線の先───座っているケイスケの隣に置いてある茶封筒に気が付いた。
「なんだ、それ」
「ああ、うん」
ケイスケが封筒の中から何かを取り出す。
「はい、これ」
「……、……」
ちゃぶ台の上に、一枚の薄い紙と一本のポールペンがご丁寧にこっち向きで並べられた。
……それはまるで、俺が今からそれらで何かをしなければならない、といった雰囲気を醸し出しているように見える。
「………何」
「へへ〜」
「………」
不気味なくらい楽しそうなケイスケの笑顔。
瞬間、長年かけて培われてきたある予感が胸をよぎった。
とても───嫌な予感が。

「はい!それじゃ早速だけど、ポールペン。持って」
「……、何で」
───何が『はい!』、なのか。
朝から鬱陶しいくらいのテンションを見せる男に、わざと冷めた視線を送ってやる。
けれど。
「いいからいいから」
「っ、おいっ」
まるでそんなのお構いなしと言うように、半ば強引にボールペンを握らされてしまった。

「はい、ここ。ここにサインしてね」
そう言って、ケイスケの指がある場所を指し示す。
「何なんだよ、全く…」
訳が分からずそこを見る。
そして、眼に映ったその文字に───……。









「───」
「アキラ、早く」
「───………」


───手に持ったペンを、ちゃぶ台の上にパタリと戻す。
そして、眼の前のにやけ顔でもきちんと理解できるように、ゆっくりと尋ねた。
「…ケイスケ。なんだ、これ」
そうしたらこいつ……平気な顔でこう言った。


「何って───」







『おれ達の"婚姻届"だよ』






見れば分かるじゃないか。


───そう、満面の笑みで。









「………」

……言葉が、出ない。
いや、出ないというより、出せないといった方が多分正しい。
それはもちろん───呆れ果てて。
(前々から少し変な奴だとは思っていたけど……)
まさか、ここまで馬鹿だったとは。
男同士で結婚なんか出来るわけないだろうに。
そもそも、いつの間にこんなもの用意したんだ……。
「………」
湧き上がる感情のまま、眼の前の薄っぺらい紙を睨みつける。
「アキラ?何怖い顔してるんだよ」
「お前こそどういうつもりだ」
呑気に人の顔を伺ってくるケイスケに無性に腹が立って立ち上がる。
馬鹿馬鹿しくて話にならない。
「あっ、ちょ、待って!」
「煩い。洗濯物がまだ残ってる」
そう言ってさっさと戻ろうとした俺の腕を、ケイスケの手ががしっと掴んだ。
「離せ」
「嫌だ。話聞いてよ」
「これ以上話す事無いだろ」
「おれはあるんだって!」
「………」
必死そうなケイスケの声に気圧されて、仕方なくちゃぶ台の前に座り直す。
グラスの中の氷がカラリと冷えた音を立てるのが、まるで俺の気分を代弁してくれているようだ。
「……で?話って?」
「おれ達、同棲してもう三年だよ。おれだって男としてそろそろケジメつけなきゃって思ってたんだ」
───どんなケジメだ。
更にちゃぶ台の正面から身を乗り出し、差し出した両手でおもむろに俺の手をぎゅうっと痛いくらいに握り締めてくる。
「だから…ね、アキラ。言うのが逆になっちゃったけど……」
「………」
そして、今まで見た事もそんなに無い真剣な顔で切り出してきた。




「おれの、お嫁さんになってくれる…?」




まるで通りすがりに見つけた捨て犬みたいに、大きな瞳いっぱいに潤ませながら。


「………」
「………」

潤んだ瞳がまっすぐこちらを見ている。
………そうすれば、俺が落ちるとでも思っているんだろうが、はっきり言って……かなり、鬱陶しい。
当然、ケイスケの思惑にまんまと乗せられてやることもなく。
「───嫌!、だ」
声を大きく張ってピシャリと突き放してやる。
「そんなぁ、アキラァ」
……今度は泣き落としか。
瞳を一層うるうるさせながら、ケイスケが四つん這いで傍へ寄ってくる。
嫌な予感がして後ろへ引いた途端、いきなりガバッと抱き着かれた。
「っ、おいっ!離せ!暑苦しい!」
「だって!ここの世界じゃ、アキラとおれは"白ツナギ夫婦"なんて呼ばれてて、神様(公式)だって公認してるんだよ。だから! 」
───ちゃんと、夫婦になろう!
「………」
ケイスケの目が本気でそう言っていて…ちょっと、いや、かなり怖い。
「アキラ、お願いします!一生のお願い!」
「断る。何でわざわざそんな事する必要があるんだ。今のままでも十分だろうが」
「アキラ!本当に!?本当にこのままでいいの!?おれは嫌だ!アキラとちゃんと白ツナギ夫婦になりたい!」
「お前な…」
「これにサインしてくれるまで、ここにこうしてるから!」
そう言って、ケイスケはこちらを上目に睨みながら、俺の目の前で体育座りを決め込んだ。
…子供か、お前は。
呆れて声も出ない。
「………」
目の前のケイスケの視線が、刺さるように痛く感じる。
(…こいつ、言い出したら意外と頑固だからな)
ちらりと視線を向けると、ケイスケの固い意志を持った瞳が未だにじ―…っとこちらを見ていた。
溜息を吐きつつ紙に目を遣る。
───"妻"の欄だけがぽっかりと空いている。
(こいつ……)

何かが頭の中でプツンと切れた音がした。

「…分かった。そんなに言うなら、サインしてやる」
「ホント!?」
さっきまであんなに不貞腐れていたのに、途端に太陽が輝くみたいに満面の笑顔に変わる。
………何て現金な奴だ。
「アキラ、ありがとう!おれ、最高に嬉しい!やっぱりアキラが大好きだ!」
待ってましたとばかりにケイスケが抱き着いてきた。
「だから抱き着くな。名前、まだ書いてない…」
「あっ!ごめん!」
「…………」
身体を離してもなお、痛い程見つめてくるケイスケにうんざりしながらやっと書き終える。
「…ほら、これでいいんだろ」
ピラリとケイスケの目の前にそれを翳すと、婚姻届を受け取りながら紙にキスまでしやがった。
……こいつ、ここまで気色悪かったか……?
「じゃあ早速役所に出しに行こう」
「駄目だ。今日はまだやる事が残ってる」
「じゃあ明日だな。一緒に行くだろ?」
「ああ。……俺も用事、あるし」
「用事?役所に?」
「………」
「?…まあ、いいや。それよりアキラ、明日朝一で届けに行こうな!」
意外そうな顔のケイスケを無視して立ち上がる。
これからまた、あの固く結ばれたツナギを解く作業が残っている。
……まるでケイスケみたいな。

「ほら、離せよ」
浮かれて抱き着こうとするケイスケを振り払いながら、俺は明日の事を考えていた。




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