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───貴重な休日も半ばを過ぎた、陽射しの柔らかな夕時。


「久し振りにカレーが食べたいな」


ケイスケのその一言で、今日の夕食はカレーライスに決まった。

A sweet tap? A dry tap?



二人並んで台所に立ち、それぞれの位置に着く。
材料は買い置きしてあった分があるし、今まで何度か作った事もあって、今日はケイスケが手伝う形で俺が味付け担当になった。
…つまり、いつもとは逆の位置、ということになる。
「………」
「…何だよ」
隣からひしひしと暑苦しい視線を感じる。
毎回の事だと分かっているけれど、つい声を掛けずにいられない。
そして、その答えも大体の見当が付いているのが情けない。
「いや、あの…。こ、こうやってさ、同じエプロン着けてこうしてるとさ。その、…ふ」
「"ふうふ、みたいだ"」
「えっ」
「お前の言いそうな事くらい大体分かる」
驚くケイスケに冷えた視線を投げてやる。
「ちょ…、違うよ!」
「何だ、違うのか」
「おれが言いたかったのは、"夫婦は夫婦でも新婚夫婦みたいだよね"」
「………」
………やっぱり、馬鹿だ。




「さて、気を取り直して…っと、じゃあ始めよっか。準備はいい?」
「ああ」
頭に小さなタンコブをくっつけたケイスケの声と同時に、やや大きめの鍋に油を薄く敷き、火にかける。
「火傷しないように気を付けて」
「分かってる」
心配そうな声を尻目に、ニンニクのスライスを入れて焦げないように火加減を調節する。
ちらりと目線を横に動かすと、楽しそうに鼻歌を歌いながらじゃが芋の皮剥きをしているケイスケが見えた。
ケイスケは意外に器用だったりする。
包丁でもスライサーでも、なぞれば指を挟む事も無くスルスルと皮が剥がれていく。
……俺とは大違いだ。


ニンニクに油を回し菜箸でかき混ぜていると、次第に油がプツプツと泡立ってきた。
鍋に火が通ってきた証拠だ。

「はい、アキラ。最初はこれ」
ケイスケから、切った肉と玉葱の入ったボウルを渡された。
「分かってる」
いちいち言わなくても…今まで何回見てきたと思ってるんだ。
無言でぼやきながらボウルを受け取り、そのまま中身を鍋にザラザラッと放り込む。
ジュワッと油が撥ね上がる音と水蒸気が一気に両目を刺激してきた。
「……っ」
…少し涙目になってしまった…。
「だ、大丈夫?」
瞬きしながら煙と格闘していると、慌てたようなケイスケの声が聞こえてきた。
「大丈夫だ。これくらいでそんな顔するな」
「そ、そう?」
目茶苦茶心配だ、と顔一面に書いてあるケイスケを横目で睨み、すぐに鍋へと意識を戻す。
「……」
油が均等に回るように、焦げないように。
薄い肉と嵩のある玉葱に気を遣いながら、菜箸でまんべんなくかき混ぜる。
腕が疲れてくるけれど、ここで止める訳にはいかない。
(そういえば…)
ふと、初めて俺がカレーを作った日の事を思い出した。

(…この前は、ここで失敗したんだよな…)


◇◇◇


『はい、最初は玉葱と肉からね』
『ああ』
あの時も今と全く同じ手順で。
『そう、そうやって菜箸でほぐしながら炒めて』
『……、……』
『そうそう、そんな感じ』
ケイスケに言われるまま、慣れない長い箸と格闘していた。
『玉葱が飴色になるまでだよ』
『飴色?』
『うん。玉葱は熱が通れば通る程甘くなって美味しくなるんだって。それが"飴色"だって、前に母さんが言ってた』
『へぇ…』
…と言う事は、このまま炒め続ければ良いって事か…?
それなら、と箸を動かし続けていると、始めは白っぽかった玉葱が段々と薄茶色に変色してきた。
心なしか甘い香りもしてきたように感じる。
『うん、良い感じ』
ケイスケが笑いながら頷いた。

その時、玄関のインターホンが鳴った。
『はーい。誰だろ…おれ、出てくるよ』
『頼む』
相手はケイスケに任せて一人鍋と格闘する。
玄関の方では……どうやら余り歓迎したくない来客だったようだ。
特に、いつも要領の良くない男、には。
『え…新聞ですか?』
……新聞の勧誘だ。
後ろのやり取りを聞きながら、玉葱を肉に絡ませる。
(適当に理由つけてさっさと帰ってもらえよ)
心の中で小突く。
ああいう手合いは話を長引かせて相手を根負けさせるのが常套手段だ。
いちいち引っ掛かっていたら、当然家計の圧迫は必至になる。
それに……ケイスケがいないと、次にどうしたら良いのか分からない。
(ケイスケ…!)

ところが、勧誘の男は思ったよりしつこいらしく、ケイスケが何度断っても引き下がろうとしない。

『だから、新聞はもう取ってあるんで要りませんから』
もちろん嘘だ。
うちにそんな余裕なんかある訳がない。
それを見透かしたように、男がゴソゴソと荷物を漁っている音が聞こえた。
『いや、でもね、ウチの方が情報量も多くて便利ですよ。今ならこれも付けますから』
(…!)
その声に後ろを振り向くと、押し問答の末に贈答用の洗剤をぐいぐいと押し付けられているケイスケがいた。
『え、でも、あの』
『それにね、私も今生活が苦しくて…。今あんたに断られたら仕事クビになっちゃうんですよ。何とかお願い出来ませんかねぇ?』
『え…』
そんな決まりのセールストークに弱いケイスケが一瞬怯む。
しめた、とばかりに男が契約書を取り出した。
『ここにサインして貰えるだけで良いんで』
それとペンを一緒にケイスケに押し付ける。
『えっ?ちょ、えぇっ!?』
(あの馬鹿…!)


『ケイスケ!!』
そこで堪らず───声が出た。
玄関の二人が一斉に振り向く。
『ア、アキラ…』
『何やってるんだ、お前』
箸を放り投げ、洗剤の箱を抱えて泣きそうになっているケイスケを押し退ける。
そのまま入口を塞ぐように男の前に出た。
『悪いが』
『な、何ですか』
『アンタの生活が苦しいのも仕事をクビになるのも、同情はしてやるがこっちだって生活がかかってる』
『そ、それは…』
『ケイスケ。それ、寄越せ』
『あっ』
目を丸くして呆気に取られているケイスケから洗剤の箱を引ったくる。
『返す』
契約書を持つ男の腕に押し付けた。
最後にジロリと睨み付ける事も忘れずに。
『ひっ!』
男は短い悲鳴を上げた後、逃げるように帰って行った。


『アキラ、ごめん。おれ…』
『お前…ああいうの、本当に弱いよな』
ふぅ、と大きく溜め息を吐きながらドアを閉めた。
『これからは俺が出る』
『あ、…うん。ごめん…』
ケイスケが気まずそうに頭を下げる。
『………』
『なあ…、あの人、大丈夫かな』
『さあ…俺達が気にする事じゃないだろ』
『そうかもしれないけど…すごく必死だったし…、もし仕事無くなったら』
『…ケイスケ』
『わ、分かったよ…』
『………』

───ケイスケは、優しい。
優し過ぎて……それが裏目に出るものだから、時々財布の中まで危険にさらされそうになる。


ただ───。


『…あの写真……子供かな……』
(───…)


……そんなケイスケは嫌いじゃないから………困る。


(…毎回これだと本気で困るけどな…)
仕方ないか、と半ば諦めの気持ちで苦笑する。
そこがケイスケの悪い所でもあり……良い所でもあるのだから。

『ほら、もう良いから晩飯の続きしないと』
『う、うん』
いつまでも引きずるケイスケの背中を軽く突く。

───その時。

『ん?何か、臭くない?』
『…?』
鼻を刺激する異臭が漂ってきた。
そして。
『何か、焦げ臭いような……、ああっ!!』
ケイスケが振り返ったと思ったら突然大声で叫び、台所を指した。
『何…、!』
その先にあるものを目で追って、見たものは。

『ちょっ!アキラ!鍋っ、鍋から煙出てる!!』
『…!!』

鍋の底からもうもうと立ち上る、真っ白な煙り。
それが天井まで伸びて部屋の中に充満しつつあった。


『そういえば…火を消すの、忘れてた…』
『アキラ〜!』


───そうして、結局その日は肉無し旨味無しの、全く味気無いカレーを食べる羽目になった。

『………』
『………』

ケイスケには……ついさっき俺がしたような、思いっ切り盛大な溜め息を吐かれてしまった……。


◇◇◇


「………」
同じ失敗を繰り返さないように、弱火に変えて菜箸で掻き混ぜる。
『玉葱が飴色になるまでだよ』
───いつかの、ケイスケの言葉を思い出しながら。

暫くして、鍋の中身全体がしんなりと飴色になってきた。
「うん、そろそろ良いかな?はい、じゃあ次はこれ」
今度は人参とじゃが芋だ。
俺が切るよりかなり小さめのそれを一気に鍋に放り込む。
再び嵩が増して、掻き混ぜる手に少し力が入った。

「よし、じゃあ次」
全体に油が回った所で水を注ぎ、強火にする。
じゃが芋の芯が無くなるまで火が通ってきたら、後は市販のルーを入れて煮込むだけ。
ケイスケのリクエストだし、今日は辛くしても良いか。
いつもは……もう少し甘めだけれど。


───グツグツと、中の水分が沸騰する音が次第に大きくなる。
「アキラ、そろそろルー入れて良いんじゃない?」
「分かった」
ケイスケに促されて板状のルーを割り入れる。
辛口と……やっぱり、もう半分は中辛にしよう。
菜箸からお玉に持ち替えて、底の方からゆっくりと掻き混ぜる。
次第にとろみが増してきた。
同時に、食欲をくすぐる独特の匂いが立ち込めてきて空腹感がぐっと増す。
「ん〜、良い匂い。腹減ったぁ」
ケイスケが鍋に顔を寄せて立ち上る匂いを嗅ぐ。
「おい、そんなに近付くと火傷する」
それがまるで腹を空かせた犬みたいで、思わず笑みが零れた。


ポコポコと、茶色い泡が膨らんでは弾けていく。
その様子をケイスケと並んでじっと眺める。


「上手く出来たね」
「……そうだな」


こういう瞬間に………気持ちが落ち着くようになってきたと、思う。

───料理なんて。

もし、ケイスケが一緒にやろうと誘わなければ……俺はきっと、包丁を持つことすら一生無かったんだろう。

だからかもしれない。

一人で台所に立つのは、まだ苦手だけれど。


───二人なら。


ケイスケと二人でなら、また作ってみたいという気になれる。


………不思議と、そう思う。




「そろそろ、出来たかな」
ケイスケが鍋の火を止めた。
「アキラ、ご飯よそって」
「ああ」
棚から皿を二枚取り出し、炊飯器から炊きたての米を盛る。
それをケイスケに差し出すと、白い米の上に出来たてのカレーをかけてくれた。

"火傷しないように、気を付けて"

二度目になるその言葉も、乗せて。


「持っていくからな」
出来上がった二人分の皿をテーブルに持って行こうと足を向ける。
その時。
「あ、待って」
ケイスケが声を上げた。
「どうした?」
何か入れ忘れたのかと、背を向けかけた身体を元に戻す。
「アキラ。皿、持ってきて」
「…?ああ」
言われた通り、両手に皿を乗せたまま傍へ歩み寄る。

「……!」
「へへ」


頬を、温かい唇が掠めた。


「なっ…」
驚いて見上げる。


そうしたら───ケイスケの、この一言だ。









「隠し味入れるの、忘れてた」













いつもより辛口にしたつもりだったのに。


「アキラが作ると、やっぱり甘いよな」
「なら食うなよ」
「美味しくないなんて言ってないだろ」
「………」
「アキラ」
「…何だよ」
「好きだよ」
「っ!…っ、いきなり何言う」
「アキラ味カレー」
「……、………」




玉葱に負けないくらい、飴色なケイスケのせいで。




「おかわり!」
「お前、食い過ぎ」




結局、今日も甘口カレー(激甘)を食べることになった俺達だった。




A sweet tap? A dry tap? / 甘口?辛口?