LOVES





いつものようにカラリと窓を開けた瞬間、ほのかな香りが撫でるように頬を過ぎた。
その心地好さにそっと深い呼吸をしてみれば、身体中が優しい色に包まれる。
ゆるやかに落ちる瞼。
結んだ吐息もほわりと自然に緩みだす。

───いつの間にそうなっていたのだろう。
瞳に映る、鮮やかな景色。
気がつけば、世界は柔らかな陽射しと生まれたての生命の息吹に溢れていた。

そして、今日は久しぶりの休日で。
……本音を言えば、いつものように部屋でのんびりするつもりだったけれど。
『なあアキラ。天気も良いし、たまには散歩でも行ってみないか?』
そう言うケイスケの声がとても軽やかで……さっき感じた春風みたいに柔らかで。
『…そうだな。たまには…いいか』
誘われるまま、俺は午前中から久しぶりに出掛けることになった。

行き先は近所にある小さな公園。
ケイスケと古びたベンチに腰掛け、そして眺める。
「…綺麗だね」
「…ああ」

見渡せば、辺りは一面の桜色。


───そう。
今日は二人揃って、花見の日。

Cherry



「見て、アキラ。あの蕾、もう少しで咲きそうなんじゃないか?」
「どれだ?」
ケイスケに指で促されて斜め上へと目線を移す。
しなやかに伸びた無数の枝が空の蒼を覆い隠すように拡がり、その先にいくつもの可憐な花束がたわわに春の実りを咲かせている。
よく見るとまだ完全に目覚めていない枝もあちこちとあって、実はまだ八分咲き、といったところだろうか。
「どこだよ」
「ほら、あれ。すぐそこの枝の先っちょ…すごく小さいけど」
「…本当だ」
更に促されて眼を凝らせば、ふっくらと膨れたそれが今にも綻びそうにその時を待っていた。

「ここら辺ももうすぐ満開だね」
ふっと小さく息を吐きながら、ケイスケが言う。
小さく相槌を返しながら…ふと、気になった。
「なあ…これって」
「え?」
「いつまで、咲くんだ?」
「いつまでって……桜のこと?」
「ああ」
頷いてちらりと向けた視線の先に、不思議そうな顔をしたケイスケがいた。
「うーん、どうかな。天気にもよるだろうし…。去年は短かった気がするけど」
「短いって……どのくらい?」
「え…わ、分からないけど、多分一週間くらい…なんじゃないか?」
「そうか」
「何?アキラ、桜、そんなに好きだった?」
じっと向けられる大きな瞳が、そのままの感情を伝えてくる。
それはとてもとても意外だと、言葉よりもはっきりと言っていた。
そのあからさまな視線に少しだけむっとしながら、けれど曖昧にしてしまえばケイスケのことだ、きっと帰りまでしつこく聞いてくるに決まってる。
「………」
「アキラ?」
今度は自分の唇から息を吐き出す。
ケイスケより、わざと少し大袈裟に。
「…いや。好きとか、そういうんじゃない。ただ…」
「ただ?」
言葉と共に、ケイスケがぐっと間を詰めてくる。
その表情も言わずもがな、興味津々といった感じだ。
軽く身体を後ろへ引きながら、先の言葉を続ける。
「早く…食べてみたいと、思って」
「食べる?」
一瞬、ケイスケの声が裏返った。
「ああ、まだ食べた事無いからな。噂では…美味いらしい」
「美味いって…え?」
にじり寄る大きな身体も固まったようにピタリと止まる。
笑顔も心なしか引きつっているようにも見える。
………そこまで驚かなくてもいいんじゃないのか。
細めた視線で眼の前の顔をじとりと睨む。
「…何だよ、その目は」
「え?う、ううん。何でもない」
「………」
「えと…それで。何を、食べたいって?」
慌てて表情を戻すケイスケを見つめながら、脳裏に浮かぶのは未だ味わったことのないその名前。
ころんと丸い、赤い粒。
宝石のような輝きを放ち、口にすれば砂糖のように甘いらしい。
けれどそれはとても子供っぽくて、口にするには少し恥ずかしかったりする。

───だから照れ隠しのつもりで、前もって予防線を張ることにしたのだけれど。

「笑わないって…約束、するか?」
「もちろん」
「………絶対に?」
「…う、うん」
「破ったら……」
「や、破らないよ!」
「………」
「………」









「…………さくらんぼ」









「…………」

「………」

「…」









………その後、俺はケイスケに思いっ切り大笑いされた。
約束を破ったアイツを殴ろうとしたら。

『だって、アキラ。さくらんぼは『サクランボの木』になるんだよ』

こんな言葉で返された。
知らなかったとはいえ………凄く、恥ずかしくて。

……でも、もっと恥ずかしかったのは。


『アキラ、やっぱ、可愛いね』


そんな、ケイスケの一言だった。




Cherry / さくらんぼ